明けましておめでとうございます。
実は昨年末に自身の体調不良の為に年賀はがきでのご挨拶が用意できませんでした。
ここに、本来年賀はがきに印刷する予定だったメッセージ(写真の文章)を下記に転記いたします。
そして、その後にもう少し詳しく、現在の心境を綴ってみました。
テロワール、それはその土地の気候や土壌由来の個性。ヴ
東御の恵まれたテロワールであっても昨年の収穫期の降り
しかし大変多くの皆さまの協力があって丁寧に収穫、選果
2016年ヴィンテージとはまさに東御の自然の中で天候
2017年も素晴らしいヴィンテージとなりますように。
今年もよろしくお願い致します。小山英明
この地に葡萄を植え始め、もうすぐ12年目を迎えます。
私がこの地に来た12年前には現在のように、個人としてワイナリーを開業しようということ自体、当たり前のことではなく、社会的に信用を持つ者、または企業などの組織以外はなかなか参入できるものではなく、そういった者であってもそう容易に製造免許をいただき開業できるような時代ではありませんでした。
この地に来るまでに幾つかのワイナリーで仕事をさせていただきましたが、それこそそれよりも以前、ただのワイン愛好家であったときに、葡萄を作り、ワインを造り、自らの生活の中でワインをいただき、文化的に、精神的に豊かで幸せな暮らしを営む西洋諸国に暮らす人々の、「ワインと共にある暮らし」に憧れていました。
そしてその憧れる思いが最高潮に達した時、思い切って仕事を辞めて、日本のワインメーカーで働く決心をしました。それから8年程サラリーマンとして数件のワイナリーで経験を積ませていただきながらも、この日本のどこにも憧れていた「ワインと共にある暮らし」などは存在せず、ただ一つ同じことは葡萄を醗酵させてワインを造るということのみであり、それ以外のワイナリーというものが存続して行くための仕組みや取り巻く環境、係わる者たちの考え方までもが、西洋のその物とはあまりにも異なっていたのです。
それは造り手のみならず消費する側も含めて、ワインを嗜むということにおいて文化的に西洋とは似て異なるものであり、しかしそれはこの時代の日本ではまだ仕方のないことなのかもしれませんが、少々極端な言い方をすれば、文化のないところには当然ルールもなく、つまり何でも在りきの無法地帯であるということと同等なのかもしれません。
ワインとは当然、葡萄を原料として造られる飲料でありますが、その当然とは、その土地で作られた葡萄が原材料であり、その土地で醗酵させてワインとなることを意味するものであります。それこそが西洋において自らの生活の中にあって、また自身のアイデンティティであり、高度で文化的な行為であり、誇りでもあるのです。
多少の例外はあったとしても決して、他地域の葡萄であったり、はたまた海外産の濃縮果汁を薄めて原料にしたり、既に出来上がった輸入ワインを購入してボトリングするだけだったり、そのようなことは誇り高き行為でないことは容易に想像できます。
彼の地に暮らす人々のように、誇り高く文化的に豊かな暮らしがこの日本でもしたかっただけ。そんなシンプルな思いがこの世界に入ったときから、そして今現在までも私の中に流れているのです。
だからこそ、12年前にこの地に移り住み、たくさんの皆様の理解と協力のもとに、そんな当たり前の「ワインと共にある暮らし」を実現すべく、葡萄を植え続けワインを造り続けてきました。
Rue de Vin :ワイン通り。それは葡萄畑につづく一本の通りからワインと共に暮らして行ける環境・文化が広がって欲しい…。そんな思いを持ちながら当たり前のように葡萄を作りワインを造り豊かに頂いて幸せに暮らして行ける環境・文化を作ること。それこそが私自身、即ちワイナリーとしてのリュードヴァン自身も存続して行ける条件でなのです。
今、この地にはワイン特区の実現以来、ワインを造りたいと希望する者が後を絶ちません。勿論どんな思いで参入しようと個人の自由であり、多様性こそがワインの魅力でもありますが、リュードヴァンの目指すところ、理念は変らず、これから新たに参入する者が、不本意な方法でワインを造らなくてもよい環境と仕組みを提案し実践して行く。
食品偽造紛いのことに手を染めなくとも、当たり前のようにこの地で生まれた葡萄のみでワインを造り暮らして行けるように。
多くの方々が参入しようとこの地に集まってきたからこそ、そんな世界を一刻も早く実現しなくてはならない。そんな思いをこの地に暮らす人々と共に具体的な行動として実行する時が来ていることを実感している新しい年の始まりです。
今年も、そしてこれからもよろしくお願いします。 リュードヴァン 小山英明